オリーブの木の下で
先週はアンテオケ宣教会の理事会がありました。昨年から理事の一人に加えられて、海外宣教に重荷を持って働きを進めて来られた先生方より多くを学んでいます。その席に、帰国中の宣教師が出席され、胸の内をお語り下さいました。それは、宣教師として経験した心の痛み、寂しさなどでした。宣教師だから、様々な困難があることは当然のこと。経済的、肉体的、精神的に戦いが多いことは百も承知の上で、主に従ったのだから・・・。
今までの私ならばそのような受け止め方でしたが、今回は違いました。私は理事になったばかりですから、その方の経験に責任を感じる必要はないのですが、もしアッセンブリーの宣教師たちがそのような孤独と戦い、苦痛を経験しているとしたならば、と考えると責任が違います。それ以上にベトナムで奮闘しているNgoミケール&たゆか宣教師に対しては、日本において私たちが唯一の場所。果たして責任を果たしているでしょうか?
手紙一枚、メール一通が孤独を和らげ、心を癒し、力を与えるのだと思います。もちろん、たった一人だとしても主に心を向けて、主にだけ期待して前進していることと思うのですが。
イスラム国において人質となっている後藤健二さんのことを想い、世界中からメッセージが寄せられています。そして「I am Kenji」のプラカードは、心を一つにする出来事となりました。本人が知ったならば、どんなに力づ読められるだろうかと思います。インターネットの世界が作り上げた、新しい形なのだと思います。「I am 〇〇〇〇」あなたなら、どんなプラカードを持ちますか?
イースターに間に合うように、ベトナムへの贈り物を用意しましょう。