大学時代から26歳の夏に救い主イエス・キリストと出会って救われるまで、私は遊びや揉め事を楽しみとし、日本神道を信じていました。そんな私は一冊の聖書を通してイエス様に出会い、すっかり人生を変えられてしまったのです。

当時何かに悩んでいたわけではありません。関わっていた組織から賭博遊戯店を任されたり、クラブのチーフをしたりそれなりの収入もあり、外車を乗り回し、何か問題が起こった時でさえ、箔が付くと思い、楽しみ勇んでその揉め事に乗り込んでいったほどです。毎日、楽しみながら目をギラギラさせて、やったもん勝ちだ!と威勢を張って生きていました。

しかし、そんな私の前に留学先の米国から一時帰国した姉が、クリスチャンとなって立ちはだかったのです。しかし、速攻私からの激しい怒りを込めた講義と説得が始まりました。日本民族の信ずべき神々を持つ我々日本人が外国の宗教を信じる姉がゆるせませんでした。

しかし、どんなに説得しても動かない姉に愛想をつかし、私は「じゃあ、この本読めや!」と、日本神道を分かりやすく説明している本を渡しました。姉は意外にもすんなりと受け取りましたが、しかし何やら小さな本をすかさず私に差し出してきたわけです。小さな聖書でした。「じゃあ、これ読んでね」と。「おおっ、交換条件か!上等だ!」と、受け取りました。

私の渡した本をもって部屋に戻る姉の後ろ姿に「ちゃんと読めよ!」と念を押しました。すると、姉も振り返って「ヨハネから読んでね」と。律儀な私はそのヨハネから読んでしまったのです。もちろんネタ探しの為です。しかし、それが本当に命取りになってしまいました。私を覆っていた罪の濃い霧は押し退けられ、わが神として仰がざるを得なくなりました。十字架の恵みを覚えて、自分のために死んでくださったこのお方に仕えざるを得なくなりました。

私に渡された小さな聖書、それはギデオン聖書でした。姉がかつて大学に通っていたころ、品のいいおじさんが校門前で配っていたものだと聞いています。私はまさしく、その配られた聖書を読んで救われました。

北広島チャペルキリスト教会 牧師 木村恵一【ギデオン2017.7月号より】

昨年北海道聖会においてお会いした先生のお証を、月刊誌の中に見つけて読み返しながら、聖書の御言葉のもっている力の素晴らしさを改めて感じました。聖書をプレゼントすること、御言葉を人に送ると、いつか実を見ることができます。御言葉の力に信頼して前進しましょう。