◎カトリック教徒の作家である加賀乙彦氏夫妻が、洗礼を受けた時の体験を語った記事があります(『日本経済新聞』1988年1月23日)。これによると、ご夫妻は、信濃の別荘に、友人である上智大学東洋宗教研究所長の門脇神父を招いて、3日間質問責めにしたそうです。ご夫妻は、「天使なんているんですか」「聖霊とは・・・」「最後の審判とは・・・」といったたぐいの初歩的な質問を連発しました。そして、「笑わないでいただきたい。長い間聖書を読み、キリスト教の教義に親しんでいながら、私が洗礼を受けなかったのは、こういう初歩的な疑問を突っ込んで考え、解決していなかったからであった」と述べておられます。現在の日本には、このご夫妻のように、ある程度のキリスト教の知識や素養を持ち合わせているのに、「こういう初歩的な疑問」が心の底にひっかかっていて、聖書の世界に入れない人がずいぶんいるようです。「いったい神は存在するのか?」という根本的なところから始まって、こういうさまざまな疑問に悩まされている人には、聖書の言葉も、すんなりとは受け入れられないものです。ご夫妻は、「もう何も質問することがなくなった」時に、「不思議にも私と女房の気持ちが同時にふっと軽くなり、明るい光に満ちてきた」という状態になられました。加賀氏は、さらに、別の記事の中で(『朝日新聞』1988年2月17日)、「その瞬間から何かが変わったのである。今まで聖書という文学の登場人物の一人であったイエスが、福音の喜びをもたらしてくれる存在として身近に迫ってきた。この気持ちはうまく言えないが、イエスは十全な愛に充ち、つきせぬ歓喜を私に与えてくれたのだ。・・・聖書の読み方がすっかり変わってしまった」と言っています。それまで長い間聖書に親しんできても、小説の主人公を見るように、何か遠い存在でしかなかったイエスが、「福音の喜びをもたらしてくれる存在として身近に迫ってくる」と「聖書の読み方がすっかり変わってしまった」というのです。このような救いの体験をされる方がこれからも日本中に起こされていきますように。そして救われている人たちはイエス様との関わりがより深いものとなりますように。