☆東北復興記念誌への寄稿【原稿依頼がありました。以下転載します。】
3月11日、神奈川県でも湘南海岸は通行止め箇所があり、教会員の安否確認、職
場から歩いて帰宅する人たちとのやり取り、学校で足止めされている高校生の迎えな
ど気の張る時間を過ごしていました。
翌12日、仙台に住む教会員がヒビの入るマンションにとどまっていることを知り、
仙台に向かうことにしました。オリーブチャペルでは洗礼を受けて教会員になる時
「教会を愛してください。牧師は教会員をどんな時にも支えますから」とお約束して
いるからです。
もう一つ、一人で自主開拓を始める時、私は痛みと苦しみに比較的弱いため、少し
でも早く自立できるようにしてください、その代わり自由の利く時間は他の方々の助
けになることをします、と祈りました。与えられた時間は、どこかを助けるために与
えてくださっている、と受け止めています。
震災発生から6月末までに合計9回の清掃、炊き出しボランティアなどを東松島に
おいて行いました。14週間の内藤沢から仙台までの500キロを9往復、一年間の
中では何往復したか記録が残っていません。八王子教会員の親族が東松島で被災され、
津波被害を受けた東松島赤井地区におけるボランティアが必要との連絡がありまし
た。八王子教会員は私が神学生として派遣されていた時に導かれ、救われた方だった
ため、お手伝いすることにしました。最初に泥掻きをした公園のすぐそばに、東松島
アメイジンググレースセンターができたことは主の大きな慰めです。
炊き出しの仕込みのために藤沢では多くの方がご協力くださいました。現地で炊き
出しをした方々や、活動のために捧げてくださった方々もおられます。マッサージ資
格のある兄弟が、2020年まで何度も、一週間程度の滞在をしながら無料マッサー
ジを続けてくださいました。
我が家には当時小学生3人と幼稚園児2人がいました。計画停電があり、夕方の早
い時間に電気が止まり、ロウソクで過ごしました。私が東北から戻るとお米がなく、
何件もまわってようやく一袋見つけて帰宅。東北では支援物資の中にお米があり、「あ
あ、子どもたちに持って帰ってあげたい」と思うのですが、そんな私を「我が家はパ
ンを焼くから大丈夫、行ってきて」と妻が送り出してくれました。
大変ではありましたが、その苦労を一緒に担うことができたことを感謝いたします。
教会として、一緒に寄り添うことを決断してくれたオリーブチャペルと受け入れてく
ださった東北の方々に感謝いたします。