☆高校を卒業する時、秦野市に新たに建設される療護施設での働きが決まってい
ましたが、大学での学びを願っていたために夜学を選択。そして施設開設は1
年後だったため、空いていた1年間を横浜市栄区にある「訪問の家 朋」で研
修を受けることになり、無休で1年間置いていただくことになりました。
日本で初めての重度心身障がい者のディケア施設です。何も知らない18歳に、
基本的なことからすべてを教えてくれました。
先日その時にお世話になった職員の方から、担当していた方がグループホーム
にいるので来てほしい、というお誘いのお電話がありました。偶然私のことを
知っている方がホームを訪問したため、電話番号を知ることができたとのこと。
30年ぶりの再会でした。
グループホームに入ったその方は知的にも、身体的にも1歳未満の重心の方。
でも私がいた1年間、良く一緒に時間を過ごし、笑顔が見られたのですが、今
ではまったく笑うことがなく、新しい環境で緊張しているそうで、その方を見
るたびに職員の方が「あの時は笑顔だったなあ」と私のことを思い出していた
そうです。
お会いして、30年ぶりということもあり、笑顔を見ることはできませんでし
たが、1年しかいなかった私をそのように覚えていてくださったことに感謝で
す。自分の原点を確認することができる機会が与えられました。
その後秦野市での仕事を始めて、神学校に入りますので、秦野市での開拓伝道
を考えたこともありましたが、海がなく、人が少ない場所での伝道は私には無
理だと思い藤沢に来ました。
仲松重幸兄とヴィトリア姉夫妻は秦野市から礼拝に来られています。ご苦労し
ながら日本での生活をなされていて、私たちには気づかないような戦いも多い
ことと思います。夜勤の時には日曜日に礼拝に来ることができないことが今ま
でもありました。
先週も夜勤だったため、昨日土曜日は私がご自宅に行って夕方に礼拝を持つこ
ととなりました。秦野ミニチャペルの開始です。土曜日に夕方に移動すること
は私にとっては負担が大きいですが、一度は開拓伝道を考えた場所で礼拝を持
つことができる喜びは大きいです。24年たって、ようやく私の準備が整った
ので神様が「いいよ」と言ってくださったのでしょう。
『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。伝
道者の書 3:1』
※『時期』を口語訳では『季節』英語では『a season』と訳しています。人生に
は様々なシーズンがありますが、それでいいのだ、と受け止めましょう