人生には「試練」がつきものです。「試練」に遭わない人生などありえません。「試練」は決して否定すべきものではなく、「試練」には意味があることを知らねばなりません。「試練」とは何でしょうか。

1.人間を成長させる

わたしたちは試練にぶつかったとき、初めて「考える」という人間にしか与えられていない能力を用いるのです。美味しいものをただ食べて遊んでいるだけでは、人間は考えようとしません。試練に遭うと、はじめて人間は考えるようになり、そして成長へと向かうのです。医者の日野原重明先生は、ご自分の若い日の病いを振り返って次のように語られています。「わたしにとって、21歳の時に結核で一年近く病んだ経験は、当時は本当に残念でしょうがありませんでした。負けず嫌いのわたしは人よりも遅れることが嫌でした。でも卒業して医者になり、10年、20年するうちに、あの苦しみを体験しなかったなら、病気は診断できるが、病んでいる患者さんそのものを理解することはできなかっただろうと思うようになりました。病気の体験なしには、本だけでは、医学は勉強できません。自分が病むことによって、病気を内側から観察し、感じることができるのです。そうして得た病気に対する理解を、配慮というしかたで、患者さんや家族に対して返していくことができたらよいと思うのです。」このように人間は、試練によって考えさせられ、様々な新しい洞察が与えられ、人間として成長させられるのです。

2.人間を神に向かわせる

試練を通して人間は自分の弱さや、限界を知らされます。それは人間以上の存在に心を向けるチャンスでもあります。

テレビでニュースキャスターを務めた山川千秋さんが、数年前に食道癌のため百数十日の 療養の後、亡くなりました。奥さんから助からないと告知された時、山川さんは絶望的な気持ちになりました。クリスチャンである奥さんは、山川さんを信仰に導きます。その時のことを奥さんは次のように語られています。

「夫は、死の恐怖や、不安から逃れ、安心して死ぬにはどうすればよいのかと問うてきました。わたしは、その答えは人間によっては絶対に与えられない。それができるのは神さま、すなわちイエス・キリストしかいないと答えました。すると、夫はどうすればイエス・キリストに救ってもらえるかと、尋ねてきました。わたしは、神の前に正直になること、これまで神に背いてきた罪を悔い改めて、主イエスを自分の救い主として受け入れると口に出して言うことだ、と答えました。夫はしばらく考え、自分の過去の罪を素直に告白し、やがて表情は穏やかなものになりました。」

この後、山川さんは遺言を残し、すべてを整えて非常に安らかに亡くなられたそうです。人間には生涯のどこかで信仰を得る機会が与えられています。試練に遭った時こそ、その最も良き時だと思います。